宮城県 サン・ファン館にて

支倉常長

支倉常長
黄金の国ではない事実が徐々に明らかになっていくと、常長達への歓迎の熱も冷めていったようです。イスパニアは仙台藩との通商を拒否し、常長の本来の目的であるノビスパンとの通商貿易の実現は失敗に終わったようです。

日本に帰った常長は仙台にも居場所はなかったようです。元和元年(1615年)の大阪の陣で豊臣氏が滅びると、政宗も天下統一の野望を断念し、家康に臣従したからには、かつての政宗の野望の証でもある常長は邪魔なだけの存在であったようです。さらに洗礼を受けていた常長はキリスト教徒弾圧の中で、影に潜むように生きねばならなかった。元和8年(1622年)、日本人で二人目の太平洋横断という偉業を成し遂げた支倉常長はひっそりと亡くなったようです。常長の存在は歴史の記録から抹殺され、300年の江戸時代において脚光を浴びることはついになかったとのことです。常長の存在が明るみに出るのは、維新後、岩倉具視が欧米視察でイタリアに派遣されたときに、支倉の署名が入った文書を発見したときからのようです。

| 2008年05月02日 23:29 | 観光地 |

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