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キヲクトキロク ‘サン・ファン館’

サン・ファン館

日曜日, 5月 4th, 2008

サンファンパウティスタ船内

サンファンパウティスタは、日本で最初に建造された
西洋式の大型帆船でありガレオン船であるとされています。
サンファン館では復元されたサンファンパウティスタの船内の見学もできます。

サン・ファン館

金曜日, 5月 2nd, 2008

支倉常長

黄金の国ではない事実が徐々に明らかになっていくと、常長達への歓迎の熱も冷めていったようです。イスパニアは仙台藩との通商を拒否し、常長の本来の目的であるノビスパンとの通商貿易の実現は失敗に終わったようです。

日本に帰った常長は仙台にも居場所はありませんでした。
元和元年(1615年)の大阪の陣で豊臣氏が滅びると、政宗も天下統一の野望を断念し、家康に臣従したからには、かつての政宗の野望の証でもある常長は邪魔なだけの存在です。

さらに洗礼を受けていた常長はキリスト教徒弾圧の中で、影に潜むように生きねばならなかった。元和8年(1622年)、日本人で二人目の太平洋横断という偉業を成し遂げた支倉常長はひっそりと亡くなりました。

常長の存在は歴史の記録から抹殺され、300年の江戸時代において脚光を浴びることはありませんでした。

常長の存在が明るみに出るのは、維新後、岩倉具視が欧米視察でイタリアに派遣されたときに、支倉の署名が入った文書を発見したときからのようです。

サン・ファン館

金曜日, 5月 2nd, 2008

サン・ファン館

サン・ファン・バウティスタという帆船があるサン・ファン館と呼ばれる施設があります。
支倉常長という人が正宗の命を受けイスパニアに航海する時に使用した船のようです。

施設の中には支倉常長の航海の時の苦労などの映画および資料があります。
なぜ常長が選ばれたのか?映画の中で正宗が小十郎に言ったせりふを聞くと、失ってもいい部下を行かせたような感じを受けます。

常長の正宗への忠誠心はあったのかどうか?
映画を見る限り常長は忠誠心たっぷりの人のようです。
現在の左遷・・・というよりリストラでしょうか。

映画では途中で終わっていましたが、結果交渉は失敗に終わったようです。
(当然と言えば当然です。常長も分かりきっていたことでしょう)
さらに徳川の禁教令などにより常長は表舞台に立つことなくなくなったようです。
(帰国後の常長が邪魔になり歴史上より消される)